自分の事柄– category –
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私の食事
私の食事は1日2回+アルファ。 朝食は緑茶2杯、りんご半分。 昼食は玄米ご飯一杯、卵、納豆。 夕食は、日替わりで昨夜は芋がらと切り干し大根を胡麻油で炒め出汁で軽く煮込んだもの。 ウドン、トッピングは餡かけ野菜。昨夜の鍋の残り具。自家製糠漬け。... -
コンピュータはお好き?
1974年、私は株式会社小松製作所・川崎工場に入社配属になった。 それまでコンピュータの「コ」の字にもご縁が無かったが幸か不幸かコンピュータ世界に巻き込まれてしまった。 資材部倉庫課で働くことになったが四半期に一度、膨大な手計算の仕事がありそ... -
サイダー
イギリスがTPPに参加表明した。 これは様々な意味で興味深い。 1902年日英同盟が締結され1923年まで続いたロンドン軍縮で解消されたが残念なことであった。 それが100年後再度復活する可能性も出てきた。 閑話休題。 1950年当時イギリスの... -
万年筆
昔から万年筆には憧れていた。 モンブランが多いのは空港の免税店で衝動買いをした報いだ。 本当は太い文字が好みだが衝動買いのせいで、どれも細字のものばかりだ。 新宿世界堂でペン先を変えればいいのだが面倒だ。 一番きにいっているのは、セーラーの... -
葬式の歌
暇な老人は自分の葬式で流して貰う歌を選んでみた。 ロベルティーノ・ロレッティは日本では余り知られていないと思うがかつてヨーロッパで売れたイタリアの少年。 私のレコードは当時両親が駐在していたモスクワで手に入れたものらしい。加藤登紀子は父が... -
愛知大学 熊沢先生
私が愛知大学での恩師は熊沢復六(またろく)先生だった。 第2外国語としてロシア語を選択したが勉強はほどんどしなかった。 先生はバカ学生に対してロシア語を初歩から教えて下さったのだが今考えると大変な文学者で翻訳家でもあった先生が何で阿呆たち... -
新しい階級―共産主義制度の分析 (1957年)
1966年くらいのとき、私は高校生だったが外交官だった父から1冊の本を奨められた。 それがミロバン・ジラスの「新しい階級」だった。彼はユーゴスラビア人で私は父が最初の任地であるユーゴに勤務していたので5歳のときにユーゴで過ごしたこともあり、この... -
2021年我が家の新年会
1月2日、息子の家族と娘、我が愛妻で新年会を催しました。孫の一人はバイトで不参加。 やはり孫は可愛い。 -
美味しいとは
私が最初に作った料理は卵焼きだった。小学3年生くらいのとき埼玉県浦和市に住んでいた。珍しく母が風邪で寝込んでいて学校から帰宅しても食べ物が無かった。もちろん当時はコンビニなど無く、また駄菓子くらいしか買うお金も持っていなかった。その頃の... -
もち作り
年末餅作りをしました。餅搗きと言いたいところですが臼も杵も無く大分以前から餅つき器を使っています。現在のは二代目で先代の器械はタイに持っていきました。100Vの器械なのでタイで変圧器を買い使っていました。 実はタイでは東北地方(イサーン)...
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