ダライ・ラマ法王猊下は日に7度死をイメージされていると聞く。
私はズボラだから思い出しては試みる。
昔も今も死は間近にあるのだが人の死に接する機会は随分減ってしまったようだ。
以前ネパールを散策していると動物の死骸は容易に見ることが出来た。
行き倒れも何度か見た。
現代、人の死は葬式くらいしか機会が無い。
で、それで良いのだろうか。
死を考えることは生を考えることだ。
生きようと願うことは大切なことだが、その為には死を意識しないといけない。
コロナ禍は、その機会を与えてくれた。
私はその奇貨で自分の免疫力について学んだし改善も出来た。
社会面でも様々なことが起こり、そして変革も生じた。
前近代的な保健所の体制、医師会の問題、防疫体制の不備、勤務形態の有り方などなど。
人間は元々神様ではないのでいつも失敗して学ぶ。失敗しても学ばない愚民も多い。
暗愚が悪いのではない。暗愚であると自覚しないことが悪いのである。
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