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美味しいとは

私が最初に作った料理は卵焼きだった。小学3年生くらいのとき埼玉県浦和市に住んでいた。珍しく母が風邪で寝込んでいて学校から帰宅しても食べ物が無かった。もちろん当時はコンビニなど無く、また駄菓子くらいしか買うお金も持っていなかった。その頃の私は食が細く空腹感とは無縁だった。心配だったのは母である。

台所を探してみると卵があった。卵焼きは好物だったので時々母が作ってくれた。で、最初の料理。作り方は見て知っていたが味の付け方は知らなかった。甘かったので砂糖を入れる。ただ砂糖だけの甘さでは何か物足りなさを感じた。で、少量の塩を加えた。それからフライパンに油を敷き、焼く。ちょっと味見をしたがほぼ母の出来に近い。母のところに持って行き食してもらう。喜んでくれた。

私は頭が良い方では無いが味の記憶は結構あるように思う。また舌も満更ではなさそうだ。

父が外交官であったこともあり海外を含めて様々な所に住み様々なものを食べた。小学5年から中3までは生まれ故郷の福島県郡山市の外れ、久留米、当時は古寺と呼ばれたが、祖父祖母の元へ妹と預けられた。祖父、細井善助は苦労人でそのせいか料理が上手であった。田舎では美味しい野菜や果物を毎日食した。にわとりも飼っており卵も売っていた。当時、卵は貴重品で買いに来る近所の人も1-2個くらいしか買わない。但し家では自由に食べることが出来た。加えて週末、近所のおじさん方が我が家に集まり、近くの屠殺場から仕入れた羊の臓物を使いジンギスカン鍋をやるのである。ジンギスカンのタレは祖父が作る。これがまた絶妙な味だった。成人して主に外国で羊肉を食べる機会があったが好きな部位は内臓だ。子供の頃食べたときは記憶に無かったが羊肉はそれなりに匂う。人はそれが嫌いだというが匂いは旨味の一種である。臭くない羊肉は私にとっては価値が無い。北海道でもジンギスカンを食べたが、はっきり言って美味しくない。匂う羊の内臓なんて昨今手に入らない。

田舎のジンギスカン鍋で私は酒を覚えた。小学5年生くらいだったと思う。

下の写真は地元の居酒屋たまいグループの1つ「二階のたまい」の店長西山さんだ。彼の料理には惹かれる。丁寧さと自信にあふれる料理だ。置いてある日本酒もいい。料理の美味しさには意外性もあると考える。彼の作るものには稀にそんなものがある。

近年、外食の回数が減った。コロナのせいではない。総じて美味しい店が無いからである。美味しいと思うものは自分で作ればいい。年金生活者には時間がある。ときにはスーパーで出来合いのものを買ってくることもあるが大方美味しいとは思わない。

美味しさを知るということは幸福にして不幸なことかもしれない。

二階のたまい 神奈川県川崎市高津区溝口1-12-10 2F

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この記事を書いた人

1949年6月22日福島県郡山市生まれ。会津細井家の末裔。

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