時を超え 蘇らそう、会津藩の栄光!

会津フォーラムについて

会津フォーラムについての説明。

  1. 個人的な経緯
    ほぼ60歳半ばまで働いて、無事年金生活者になり、のんびり余生を過ごそうと思っていましたが、暇になるに従い、どうにも世の中、おかしなことが多いことが気になり出しました。
    まず、日本経済の停滞。いわゆるバブル期は、会社の仕事は順調で、若干の恩恵は銀座での交際費乱費くらいと、残業し放題で家計も潤った程度。企業も景気が良かったせいで、ここぞとばかりに、おかしな新規事業に手を伸ばしたが、結果は惨憺たるものだった。
    人は懐が豊かになると心は貧しくなるもので、浮かれ騒いでいると、世情は荒んでくる。
    政治屋は、相変わらず、自分の銭儲けばかりに勤しみ、天下国家は二の次と考えている。
    日本国とは、こんなにひどい国だったのかと、人生の残りが少なくなった頃、ようやく気になりだした。
    それで、いつぐらいから、世の中がおかしくなったのか調べてみたのですが、どうやら明治以降から日本は変調になったと思い、その理由が気になり出しました。
    分かったことは単純で、自分たちが嘘の歴史を教えられてきた、ということでした。
    学校で事実を教えて貰っていれば、全部納得が行くことでした。学校での近代史は、長らく武家社会が続いたが、一部の英雄の改革により、近代国家へと変貌を遂げたということなのですが、これは全部嘘でした。
    実態は、帝国主義と呼ばれた諸外国が、日本に侵略を検討したが、武力で制圧するには、損害が大きくなると考え、一面を見ると阿片で儲けた英国が、薩摩藩・長州藩等を操り、米仏も加わり、クーデターを起こした。邪魔な孝明天皇を殺し、幕府を恫喝し、テロリストが勝利しました。
    テロリストは勝利に味をしめて大陸まで進出し、国際政治に無知なのに、国民と天皇を誑かし、江戸末期まで戦争とはほとんど無縁だった民と天皇を茨の道へ引き釣り込みました。
    大東亜戦争後もテロリストの末裔は相変わらず悪行を続け、現代に至っています。
    諸悪の根源は分かったものの、どうすれば良い国に戻せるのかが、私の次の課題でした。
  2. 会津藩
    2022年5月、会津若松市を訪れました。当時、早乙女貢「会津士魂」を読み、町野久吉を知り、その墓に詣でました。実は幼少時、祖父に連れられて会津若松市には何度か来たことがありました。ついでと思い飯盛山にも詣でました。帰り道、飯盛山のふもとで部活の三組の少年たちと出会いました。すると彼らは一人旅の老人に挨拶をする。正直言って驚きました。さらに一人走る少年もまた挨拶をする。
    彼らにとっては当たり前のことなのでしょうが、都会で、このようなことに出会った経験はありませんでした。融通寺に参拝して東京に戻りましたが、あの挨拶が気になり、会津藩についての書籍を読んでみました。すると、そこには驚愕する事実が書いてありました。
    一言で言えば、プラトンの「国家論」でいう理想的な国家像、哲人国家が描かれていました。
    読んだ本では、多分、中村彰彦氏の著作が一番多かったように思います。
    未来のことは誰にも分かりません。ただ言えることは、正しいと思われる手本は全部「歴史」にあると信じています。正しい「事実」に基づいた歴史です。ところが実際には正しい「事実」に基づいた歴史を調べるのは案外難しい。唯一、私が知っている方法は、同じ事柄について書いてある、複数の歴史書を読んでみることです。
    高校時代、フランス革命とロシア革命に興味があり、入手出来る書籍を全部読んでみました。すると書かれている内容が違うことに気づきました。一番怪しいのが時の権力者が書いたもので、殆どが虚偽でした。残念なことに、この日本でさえ、大東亜戦争後に書かれた教科書の歴史は、近代・現代史については信用出来ないものばかりです。
    幸いなことに、会津藩の歴史は、虚偽が少ないようです。きちんと原典が残っているようです。ただ私は東京に在住し原典に触れることは経済的にも困難です。結果、無駄を承知で量を読みました。
    知りたかったことは、得ることが出来たと思っているので多読は無駄になりませんでした。
  3. 理想社会の実現
    手本となる理想社会が分かれば、それに向けて実行するだけです。分からないことがあれば、再度歴史を読み返す。田中玄宰(wiki)も、そうして解決策を見つけたとあります。
  4. 会津若松市
    現代の会津若松市が理想社会ではありません。しかしながら、会津藩の首都であった頃は当時として理想社会に近い存在でした。その理由を語ることは歴史家の仕事です。折りに触れ語ることがあるかも知れませんが。
    私の試みは、東北の中心部にある、小さな田舎町である、愛すべき場所を、理想社会に近づけることです。その方策を考えたい。
  5. 方策
    方策は2つあります。
    1つは殖産です。食うや食わずの生活では心のゆとりは無くなり、聖人君子でも理想は追えません。もう1つは教育です。私たちは人の社会に住んでいます。社会は人で構成されています。ヒトは生物学上の動物であり、生まれてから教育を受けなければ、ただの動物です。己の欲望だけで生きようとします。
    ヒトが人になりうるのは教育しかありません。
    しかし成人したヒトには教育は通用しません。
    ヒトが幼児期に教育して始めて、人として成人出来るのです。
    会津藩には「什の掟」(じゅうのおきて)という有名な教育方法がありました、道徳に理屈は必要ありません。
    「教え」には2つの内容しかありません。
    1つ目は、何のために生まれたか、です。
    2つ目は、何のために生きるか、です。
    会津藩というより、もっと深い、神仏を超えたところから来た、教えをヒトのために与えたもののように私には思えます。

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