本居宣長と平田篤胤を少々読んでみました。宣長のやまとことばに対するこだわりは学術を越え妄執に近く感動的です。儒学を蛇蝎のように排斥する態度は猛獣のようですが、反面風車に立ち向かうドン・キホーテのような姿にも見えます。
子安宣邦氏の直毘霊(なおびのみたま)の現代語訳は素晴らしい。
篤胤の仙境異聞はYouTubeにも朗読が掲載されていますが、彼自身霊能者であったような気がします。仏教に対しての論(あげつら)いは日本仏教に対してのようです。原始仏教には顕教・密教の区分は中村元先生の本を読む限り区分はありません。
空海が恵果より伝授された密教は明らかにチベット仏教の流れを組んでいますがチベット仏教も当時は未だ未完成であったようで(私の推測)最澄が頻りに強請った即身成仏の法も空海は有していなかった。
篤胤の時代には日本にチベット仏教は布教されておらず、河口慧海生誕の頃(幕末)にどうやら風聞として伝わってきたらしい(これも推測)。彼の西蔵旅行記を読むと慧海も一部の雑密は会得していたようです。
篤胤が亡くなったのは1843年であと半世紀生きていれば後期チベット仏教に出会う可能性もあり排斥の仕方も違ったかも知れません。
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