私が愛知大学での恩師は熊沢復六(またろく)先生だった。
第2外国語としてロシア語を選択したが勉強はほどんどしなかった。
先生はバカ学生に対してロシア語を初歩から教えて下さったのだが今考えると大変な文学者で翻訳家でもあった先生が何で阿呆たちに教えなければならなかったのか、謎である。
新入生の私は能楽部に入り、その先輩から先生を個人的に紹介して頂いた。
1969年9月英国へ遊学し70年8月に帰国した。そして先生にも再会出来たのだが先生はその翌年12月に膵臓がんでお亡くなりになった。
ご自宅に何度もお邪魔してお酒もご馳走になり様々なことを教授して頂いた。
胡麻本蔦一教授も父から紹介して貰っていたがお住まいが豊橋で名古屋にいた私は余りお会いする機会がなかった。
哈爾濱学院(ハルピンがくいん)と同文書院の先生方が終戦で帰国されて愛知大学を創設されたのだから熊沢・胡麻本両先生が居て当たり前なのだが熊沢先生とのご縁が出来たとは偶然なのだろうか。
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