悪の始まり
日本国のことである。
以前から日本が悪に染まり出したのはいつからか、と知恵のない頭で考えた。
どうやら、それは幕末の頃からであり、単なる悪ではなく、怨霊も加わっているようだ。
悪は除去すれば良いので、ことは簡単なようであるが、怨霊は、そうはいかない。
日本人は、かつては、争いごとが嫌いな民であり、記紀でも、大量殺戮の話は無い。
日本の歴史で最大の死者が生じたのは大東亜戦争であるが、これは、悪の道に彷徨い始めた結果であり、悪の道に至ったのが怨霊であると考える。悪の道の結果としては当然であるが、それは孝明天皇と会津藩、庄内藩、長岡藩等の怨念であると、私は考える。
さて幕末。
悪党であった薩長は、孝明天皇を暗殺した。次いで西郷隆盛は江戸でテロリストである益満休之助などを使い放火、掠奪、暴行などを繰り返して江戸庶民を苦しめた。要は私利私欲のためである。特に薩摩藩は戊辰戦争以前でも統治下の琉球王朝の民にも残虐な行為をして来た。西郷隆盛などは偉人と見る阿呆も多いが、会津藩殺戮に留まらず、西南の役でも若者を沢山殺し日本史に残る大悪人だ。上野の銅像など叩き壊したいとの思いもある。
戊辰戦争は鳥羽伏見の戦いで、実質的に終わっていた。しかし、己の私利私欲と京都に於けるテロリストを取り締まった会津藩、新選組、江戸薩摩屋敷で跋扈していたテロリストを取り締まった庄内藩への恨みから、東北、北海道で無用な殺戮を繰り返した。
幼少である明治天皇の勅令を騙り、会津藩等への攻撃は、まさに悪行である。
殺しただけでは済まさず、遺体の埋葬も許さないという、日本人として恥べき蛮行は史上に例がない。
その悪逆非道の輩が明治維新と称して政(まつりごと)を司った。
加えて靖国神社も鎮魂と言いながら久しく戊辰戦争の賊軍や西南戦争の賊軍は表立って奉ることはしていない。
会津に於いては、確かに秩父宮家のご成婚はあったとしても、そのすさまじい怨念が容易に収まったとは思われないし、未だ怨念は続いていると私は思っている。
結果は大東亜戦争、320万人の犠牲だ。何故負ける戦争に突入したかという問に、軍閥が政治を操ったとか国民が愚民であったとか満州の問題処理を誤ったとか様々な偽証が書かれているが、私は維新の逆賊の悪行の結果だと考えている。流石に昭和天皇までは洗脳出来なかったようであるが。
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